連続飲酒→禁酒(失敗を繰り返す)→1年間の禁酒→平日禁酒→断酒(継続中)と、酒との付き合い方を変えてきた『酒のまん』と申します。
なだいなださんの著書、「物語風アルコール中毒」の紹介記事、第3回目です。
前回の更新より間が空いてしまいましたが、今回で最終回となります。
前回はアルコール中毒がいかにして心の病気と認識されるようになったかを紹介しましたが、最終回の今回は、アルコールと自我についてです。前回の記事はこちらです↓
「アル中」は心の病気。では、どのようにしてそうなったのか?「物語風アルコール中毒〜なだいなだ著〜」より紹介します
自我の確立が先が、禁酒が先か
「依存的な性格を持った人がアルコール中毒になる」
なだいなださんは、これは半分の真実と言っています。なぜなら、その人の性格だけでなく、アルコールとの出会いなども問題になってくるからだそうです。
しかし、性格的な側面を無視できないことも事実。ならば、依存的な性格が治り自立できれば、いわゆる周りに迷惑をかけない「普通の飲み方」に戻れるはずなので、アルコール依存症の治療はそこを目指すべきではないか。という意見があるそうですが、これは現実的な解ではないそうです。
「依存的な性格」なるもが治る可能性もゼロではないらしいのですが、半年や一年程度で治るものではなく、それこそ何十年かかるということ。なので、その人の性格が治るのなんて待ってられないのが現実とのことです。
だから、まず酒をやめる。とりあえずの解決策かもしれないが、酒をまずやめる。
「自我が確立できたから酒がやめれる」のではなく、「酒をやめる努力をしていく中で自我が確立されていく」とのこと。順番が逆なのですね。
以下、本より引用します。
断酒は自我確立によって目指す目的ではなく、あくまでも手段なのだ。たどり着く場所ではなく、積み重ねていく努力なのである。
だが目的より価値のある途上というものがある。途中の景色が美しいが、たどり着いた目的地は平凡な町、という旅のようなものだ。
それが、アルコール依存の治療といってもいいだろう。
出典:物語風アルコール中毒
なるほどと思えるたとえ話で、アルコールと自我の関係を上手に表現されています。
それでは、実際にアルコールと自我の関係を示す例を本書より紹介します。
こころに羅針盤が必要
なだいなださんの勤めていた病院に優等生患者が入院されていたそうです。
院内のルールはきっちり守る。看護婦さんや病院のスタッフさんへの態度も素晴らしく、もちろんお酒は飲まない。まさに模範患者で院内の評判もよかったそうです。
しかし、そんな模範生である彼はですが、退院させるとすぐに飲酒を再開してしまう。例えば朝に退院させると昼には酔っ払って病院に戻ってくるありさま。不思議に思ったなだいなださんがその患者さんに、
「君のような優等生がどうして外ではダメになるのか?」
と聞いた回答が以下です。本文より抜粋します。
先生は何もわかっちゃいない。
病院の優等生なんて、簡単になれますよ。規則がそれほどあるわけじゃない。看護婦さんに逆らわないようにする。手伝いをすることだって、それくらい身体を動かしていなければ、体がなまってしまうくらいですよ。
アルコールの知識だって、何年も入院していれば、先生の言いたいことくらい、そらで覚えてしまう。
だから、病院の優等生なんて、簡単になれます。それは小さな部屋の真ん中に座るようなものです。右を見て左を見て、この辺りかと見当をつける。前と後ろを見て、この辺りだろうと見当をつける。それでだいたい真ん中に座れます。
だけど、外に行く。そこで一人で生活するのは、太平洋の真ん中に行け、と言われるようなものです。右を見ても左を見ても何もない。前にも後ろにも何もない。どうやって真ん中がわかりますか。そういう場合、船には羅針盤が必要でしょう。人間の心にも羅針盤のようなものが必要なんじゃありませんか。それを一人一人が持たなければならない。ところが、狭い社会の優等生だった私には、それが欠けているんです。
出典:物語風アルコール中毒
外に出されると、途端に不安になり飲んでしまう。そして、病院に戻りほっとする。なだいなださんは、この例をアルコールと自我の関係を表す良い例だとされています。
これを読んで、この人のケースでは本当の意味で自我を確立して行くためには、外でも禁酒を頑張りながら、自我を成長させて行くしかないのかなと感じました。入院で全てが解決するわけではないのですね。
自分がしっかりしなければ
先ほどとは違う例をもう一つ。
なだいなださんが勤めている病院に一人の患者がきて、自慢げにこういったそうです。
「私は東大教授の内村先生に見てもらったことがありますが、治らなかった。ここで治るでしょうか」
と。
これを聞いたなだいなださんは気を悪くし、こういったそうです。以下、本文から引用しますが、この引用部分が本の表紙でも紹介されています。
東大教授といったら日本一の医者だ。その日本一の医者に治せなかった病気を、青二才のやぶ医者の私に治せると思うかね。答は出ている。諦めな。気の毒だと思うけど、私にはお前さんは治せない。なにしろ内村さんも治せなかった患者だからな。
気の毒だとは思うけど、諦めて死にな。そのかわり好きな酒を好きなだけ飲んで死んだらいいだろう。でも、家族に迷惑がかからないように、無人島にでも行って、そこで好きなだけ飲んだらどうだ。
出典:物語風アルコール中毒
しかし、そう言って突っぱねたにもかかわらず、この患者さんは「病院におかせてください」とお願いし、三ヶ月の入院。その後外来として通うようになりましたが、酒はピタリと止まっていたとのこと。
なだいなださんはわけがわからず、この患者さんに
「東大教授で治せなかったのに、おれが治せた。おれの何がよかったのか?」
と聞いたそうです。
すると患者さんは
「東大の内村先生に診てもらった時は、このえらい先生の言うことを聞かなければと思ったのですが、ここへきて先生と話し、自分がしっかりしなくちゃダメだ。ということがわかりました」
と答えたそうです。
なだいなださんにとって名誉になる話ではないとのことでしたが、結果よしということでした。
アルコールと自我について考えた場合、この患者さんはなだいなださんと話すことで自我の確立の重要性に気づき、そして断酒を続けることで自我を確立させていったのだと思います。
自我が確立されたからお酒をやめれるわけではない。お酒をやめる努力をして行く中で自我を確立させて行く。
この言葉がとても印象に残り、胸に刺さりました。
以上、三回にわたって「物語風アルコール中毒」の印象に残った部分を紹介させていただきました。
ここで紹介しきれなかった内容もたくさんありますので、もし少しでも興味を持たれた方は、実際にこの本を読まれることをオススメします。
おわりに
なだいなださん著、「物語風アルコール中毒」を紹介させていただきました。
中島さもさんオススメの本ということで期待して読みましたが、期待以上に面白く、勉強になる本でした。
自分もお酒との付き合い方を見直しているところですので、この本で得た知識を実践していこうと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。